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高倉ショウのブログ

健康のためなら死んでもいい by 高倉ショウ

スポーツや音楽など趣味には精力的に力を発揮する60台高倉ショウ。標高3000mの山々を単独行で渡り歩く無謀な旅人でもある。山でも会社でも崖っ縁と対峙。投資は常に裏目で、資産が増えていく確率は山で落石を受ける確率より低い。

2013年東京マラソンを4時間16分で完走。沿道にいた名も知らぬ人たちに励まされて泣いてしまうなど涙腺はもろい。
チャップリンが映画ライムライトで語った「人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」というセリフが大好きだが、いまだに「少し」の定義ができていない。

2023年1月11日
 
 荒川の河川敷を走っている。冬場は上流方向から吹いてくる北風が冷たいが、信号にさえぎられることなく走れるのでここが「マイ・コース」となっている。平坦かと思われるかもしれないが、架線橋や水門付近ではそこそこのアップダウンがある。60代半ばになったとは言え、まだフルマラソンを走ろうとしているので、いいトレーニングだと思って上っては下っている。野球やサッカーのグラウンドも多いのだが、花壇などもあって視覚的にも変化がある。ただしその「美」のすぐそばには、不法投棄された家電製品やペットボトル、空き缶などのゴミもちらほら。次に走ったときには片づけられていたりもするので、管理する側の努力をそこに感じている。
 私自身が使うランニング用のアイテムも少し変わった。昔は冬でも素手のまま走っていたが、今では防寒用の手袋は必需品だし、腰に巻くベルトタイプの荷物収容ポーチは、背負うタイプの超軽量リュックとなった。なぜなら脚を痛めて走れなくなったときを想定しているから。この場合、自宅までかなりの距離を脚をひきずって帰る可能性があるので、最低でも寒さをしのぐウインドブレーカーが必要。それはポーチには入らない。さらに緊急連絡用のスマホ、歩けなくなったときに使うかもしれないタクシー代のお金、補給用の食料と予備のペットボトル、汗をふくタオルなどを持って走るので、やはりリュックでないと「安全」が確保されない。実は自宅の住所をペンで書きこんだ名刺も1枚入れている。それは意識を失って行倒れとなった最悪のケースを考えているから。河川敷を走るにも、それなりの準備と覚悟?がいる年齢になってしまった。
 私が履いている某メーカーの厚底シューズは、河川敷をだいたい5,6回走ると、もうソール部分が摩耗してくる。バブリーな頃であれば、レース用に新たにもう一足を買っていたりもしたが、賃金が伸びずに物価だけが上がっていく現在はそうもいかない。先日、練習用に使っていた古いシューズを自分で修理。100均で「キズ防止・フェルトクッション」というシートを買って、それを剥げているソール部分の形に合わせてハサミで切り取り、接着剤を使って張った。他のランナーにはあまり見せたくない部分だが仕方がない。 かくして私の「冬のランニング」はもがき苦しんで試行錯誤を繰り返しながら進行中。もっともフルマラソン挑戦者における共通の敵「30キロの壁」は依然として私の前にも立ちはだかっている。それをなんとか打破しようとした前回の練習走行。リュックに入れておいたウインドブレーカーとタクシー代が、東京・足立区付近の河川敷で役に立ったことをご報告しておく。
2022年11月9日
 
 東京・下町にあるそのスーパーでは毎週1回「日曜朝市」というのがあって、卵10個の1パックが99円。お一人様、1パックのみだが、妙齢の常連さんは一度レジで精算を済ませると再び店内に入ってさらに1パックを買っていた。
 しかし11月になって値段は変わらなかったものの、この1パック99円の卵を購入できるのは1000円以上の買い物をした人のみになった。
 卵のみの1000円以上はカウントされないシステム。最少99円で済んでいた買い物が1000円以上になるので、これは事実上、10倍の値上げと解釈してもいいのだろうか?  
 別のスーパーではバナナの値段が据え置かれていた。税抜きの98円。値段が変わっていなかったので買おうとしたら手が止まった。よ~く見ると、それまで4房で売られていたバナナが3房になっていた。「値段変わらず中身が減量」という商品はポテトチップを含めて多々あったものの、まさかそれがバナナに押し寄せてくるとは思わなかった。
 4本が3本になったので事実上25%の値上げ?
 だったら4房のまま値段を上げてもらったほうがすっきりするのだが、この少し悪意さえ感じる商品操作?に購買意欲は萎えてしまった。
 賃金上昇がないままの物価高騰。どこの家庭も何かをあきらめ、何かを減らし、何かを削っている日々なのではないかと思う。 我が家ではパン食をやめた。業界の方には申し訳ないが、つまりこれはチーズやバターといった値上げが続く乳製品も使わなくすむので家計は少し上向く。
もともと稲作文化が根付いた国で育った人間。米食で生活することに何の問題はない…と言いつつも、近場のベーカリーから焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくると心が揺さぶられる。さてこういう場合、どうすればいいのだろうか?政府の方針に盛り込まれているのなら、どなたか教えてほしい。
 
 
 

2022年9月20日

 喉が痛くなり咳が出て熱が出た。

 まずいと思い、ネットで見つけた病院の発熱外来に予約を入れてPCR検査を受けたら陽性だった。不運の中にかすかな幸運があったとしたら、その病院の住所は我が家と番地だけが違う「ご近所」で、そうなるとわざわざ遠く離れたホテルで隔離するもの違和感があったのか、主治医も保健所も自宅療養以外の選択肢を与えることはしなかった。

 しかしその翌日、熱は39度を突破。「これは緊急通報案件かな?」と思いつつも、これまたどこに運ばれていくのかわからないので、腹をくくって解熱剤でしのぐことにした。褒められた選択ではなかったかもしれないが、妻と「自宅内別居」をしながら静養し、陽性判明から4日目に平熱に戻り、三途の川を渡らずにすんだ。肺に基礎疾患があるのでリスクが高かったのだが、なんとか処方された薬だけで乗り切った。

 しかし平熱になって仕事に戻って10日目。また咳が止まらなくなった。今度は持病の咳喘息。1週間、なんとか薬なしで頑張ってみたが、咳込んで夜も眠れない。やむなくまたしても病院に足を運び、ステロイドとアドレナリンβ刺激薬の配合剤(ブデホル)を処方してもらい、3日間で抑え込んだ。

 新型コロナのワクチン接種では1回目を受けた12時間後に50年ぶりにヘルペス(帯状疱疹)を発症。厚生労働省は頑としてそれをワクチン接種の副作用として認めていないが、肋骨と背中に激痛を伴うこの病気の治療に3週間かかってしまった(コロナなら4日だというのに)。皮膚科の主治医に聞いたら、私のようなケースが多いのだと言うし、現に中学の同級生は2回目接種のあとにヘルペスを発症している。納得がいかなかったのは言うまでもない。

 推測だが、コロナウイルスというのはそれ自体の症状をもたらすだけでなく、その人の弱点に次々にスイッチを入れていくのではないかと思う。だから後遺症に苦しむ人も多いと考えているのだが、この疑問にはおそらく「答え」はないのだろう。

 ちなみに陽性反応後、私の右手人差し指と親指にはかすかにしびれが出て、それは今も残っている。ピークアウトしても油断は大敵。コロナのワクチンは打てないが、インフルエンザのワクチンは接種しようと思う。それが私にとってはせめてもの「冬の対策」になるような気がしている。

2022年8月4日

奥多摩の御岳山(みたけさん)に登り、かつて宿坊だった民宿風の旅館に1泊した。

標高900メートル。平地より気温は3度から4度ほど低いので、猛暑の中でもしのぎやすかった。この山の「映えスポット」となる岩石園(ロックガーデン)も2時間半ほどかけて一周。「東京の奥入瀬」と看板に書かれていたが、確かにせせらぎの中を歩くのは気持ちがよかった。2つの滝があって巨岩と巨木に囲まれているトレッキングコース。しかし旅館のスタッフに尋ねると、観光で訪れる人はまだ最盛期にはほど遠いのだという。 これも新型コロナの影響だろう。

東京都民の私にとって、もし他県で症状が出たらその自治体に迷惑をかけることになるので、東京都内で旅を完結させることはとても大切。なので、あとしばらくは奥多摩は自分にとっての「奥座敷」のような感覚であり続けるかもしれない。

旅館のすぐ前からは下界の夜景が見えた。標高900メートルの東京都から見る平地の東京都。北アルプスを登山の「主戦場」にしていた私はこれまで標高が低いゆえにここを敬遠していたが、いざ足を運んでみると高さでは表現できない満足感を味わえた。 目の前の巨木にはムササビの巣箱。旅館のご主人に「夜10時くらいに山の上から戻ってくるかもしれません」と言われしばらく待った。そして現れた。ムササビではなくタヌキが…。

これもまた旅の面白さ。近場も決して悪くないなあと思いながら、翌日、日の出山というもう1つの900メートル級を制覇して「都内の旅」を終えた。

2022年5月30日 

 子供ころ好きだった某メーカーの有名なスティック状のスナック菓子を数十年ぶりに買った。開封して驚く。昔と比べて長さが3分の2,太さは4分の1…くらいになっていた。値段そのままに量を減らすやり方はすでにヨーグルトや納豆、ポテトチップで慣れてはいたものの、長さと太さに関連する「減量方式」は初体験。やはり何かがおかしい。そう思わざるを得なかった。

 近場のスーパーのレタスの特売日。1玉98円のレタスを妙齢の女性が品定めしていた。そして1つをチョイス。そこまではありふれた光景だった。しかし周囲に散らばっていた他のレタスからちぎれたと見られる葉っぱをかき集めだす。98円以上の価値をそこに求めたのか?次に買い物の順番が回ってきた私はマネできなかった。

 有名メーカーながらセール品の牛乳を買った。手頃な価格。しかしまたワナ?が待ち受けていた。牛乳の大きなパックは1リットルだと信じていた私が愚かだった。よく見ると「900ml」と書いてある。激安スーパーで販売されている納豆1パックは39円で価格は安いのだが、納豆そのものの味がまずすぎて食せない。激安&大容量のキムチの食品成分をよくみると増粘多糖剤、人工甘味料、そしてまさかの着色料…。「安いものには訳がある」。そんなセオリーをあらためてかみしめる買い物となった。

 賃金が増えないと購買意欲が減少。そこをカバーするためにメーカーは値段を据え置こうとする。すでにその我慢の限界を超えた?小麦粉や乳製品は値上げに転じているが、次第に「本物の味」と「本来の量」が消えていっているような気がする。買い物をする際にはよく商品を吟味すること。最近、そう覚悟して店の中に入る機会が増えたと感じているのは私だけだろうか…。