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高倉ショウのブログ

健康のためなら死んでもいい by 高倉ショウ

スポーツや音楽など趣味には精力的に力を発揮する60台高倉ショウ。標高3000mの山々を単独行で渡り歩く無謀な旅人でもある。山でも会社でも崖っ縁と対峙。投資は常に裏目で、資産が増えていく確率は山で落石を受ける確率より低い。

2013年東京マラソンを4時間16分で完走。沿道にいた名も知らぬ人たちに励まされて泣いてしまうなど涙腺はもろい。
チャップリンが映画ライムライトで語った「人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」というセリフが大好きだが、いまだに「少し」の定義ができていない。

2024年8月21日

 タンクレスのシャワートイレが壊れた。設置して16年が経過。メーカーに問い合わせたら、すでにその商品は廃番になっていて「修理はできない」と告げられる。

そして4社から新品購入のための見積もりを取った。3社は「マンションの資産価値を考えますと、便座ごとすべて取り替えた方がいいですよ」という話を持ち出し、提示された総費用は33~42万円。シャワートイレはいちおう家電製品で、それにしては高すぎると思い、結局「便座はそのままで上だけを替えます」というメーカーと業者に決めた。見積りでは約19万円で、ここに至るまですでに1カ月が経過。そして8月中旬をすぎてようやく設置工事も終わってホッとしたが、その間、我が家はマンションの2カ所にある共用トイレのお世話になった。

 これがちょいとしんどい。なぜなら60代に入って恥ずかしながら夜間にトイレに行く回数が増え、12階の我が家から3階と4階にある共用トイレまでエレベーターを使って移動せねばならないから。夜中なので通路では差し足忍び足。用を足すのも結構疲れた。

 そのときこう思った。この程度でストレスがたまるのだから、もし地震や洪水で被災したときには生理現象の処理にはとても疲れるのだろうと…。今までニュースで被災地の模様を見てきてその辛さはわかっているつもりだったが、別のアングルでその大変さを痛感。ようやく我が家で用を足せるようになった私は工事にやってきたスタッフに「ご苦労さまでした」と声をかけたが、同時にトイレに向かっても「ありがとな」とつぶやいてしまった。

2024年6月22日
 
 奥秩父の盟主とも呼ばれている金峰山に(きんぷさん)登った。深田久弥が記した百名山の一つで標高は2599メートル。その前日にはすぐ近くにある同じく百名山の瑞牆山(みずがきやま=2230メートル)に登っていたので、2日連続の登山とあって、早朝の第一歩からじんわりと疲労感に襲われていた。  ガイドブックなどに掲載されている平均的なコースタイムは3時間20分。そして山小屋からの出だしから30分ほど経過したところで背後から迫ってきた男女2人に道を譲った。向こうのほうがペースが速かったからだ。しかし男性は三十代くらいに見えたものの、女性の方はどうみても私より年上。しかも失礼ながら決してスリムな体型ではなかった。すると必然的にスイッチが入る。「負けてなるものか。ついていくぞ」そこからは、ほぼコースタイムで突き進む2人に私がくらいつくという展開だった。
 こうなるとお互いに親近感が沸いてしまい、やがて見知らぬ者同士だったのに会話が弾んでいく。そこで初めてその男性と女性の素性がわかった。「学生結婚したの」と語ったNさんは七十歳で、数年前に山に目覚め、プロの山岳ガイドを雇って多くの山にチャレンジしているのだという。仕事は続けていて「稼いだお金は全部、山のために使っちゃう」と息を弾ませながら笑って話す姿には、高めの年齢など微塵も感じなかった。そして彼女のお気に入りとなったガイドのFさんは崖などを登攀するクライマーでもあり、岩だらけの山道を踏みしめていく脚力は、私とは雲泥の差だった。 金峰山は稜線上に出ても、頂上までは複雑な岩山を4回上っては下りるの繰り返し。頂上に達したとき、私は「お二人は天使のようでした。一人で登っていたら、きのうの疲れもあって登頂をあきらめていたでしょう。ありがとうございました」と正直な気持ちを伝えた。 私の登頂タイムは3時間37分。コースタイムより17分遅かったものの、六十代半ばでの登山者としては上出来だったと思う。なにより、マラソンのペースメーカーのような役割を果たしてくれたFさんとNさんのおかげで登頂できたことがいい思い出になった。
 「何事も一人で抱え込むなかれ」この年になって、何か教訓を得られたような1日。さて、私も今度はガイドを雇ってみようか…。でも気になるのは懐事情。Nさんの〝思い切り〟が小市民の私には欠けているような気がしてならない。

2024年3月12日

 

2023年10月17日

 10月半ば、私の自宅の前にある東京・下町の公園では毎年恒例のジャズ音楽祭が開催された。曇り空だったが多くの人が駆け付け、各所でライブ・パフォーマンスに耳を傾けた。

 一方、同じような音楽祭はイスラエルでは「修羅場」と化した。パレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスによる一斉攻撃を受け、音楽を楽しんでいた大勢の人が命を落とし、すぐにイスラエルが軍事行動に出た。そして連日にわたって世界主要国のトップニュースになっている。すでにロシアのウクライナ侵攻で世界の地政学上のリスクは高まっていたが、そこにまた火種が加わることになった。

 日本は多くの社会的問題を抱えているとはいえ、銃弾は飛び交わないし、テロも起きていない。スーパーに行けば食料は調達できるし、価格が高騰したとは言え、ガソリンなどの燃料が枯渇する事態にはなっていない。水も食料も電力も医療も絶たれたパレスチナ・ガザ地区の人々を見ていると、なんだか申し訳ない気分になってしまうが、とりあえず「安全」という名の国家財産?のおかげで私たちは日々の暮らしを送ることができている。  

 さてここから先は2つの方向性があるだろう。この「安全」の中にとっぷりつかっていれば社会の変革は求めないという「守り」に徹した生き方と、自分の「安全」を守るには他者の暮らしも支えていくというある意味「攻め」の姿勢を取るという生き方…。モノづくりの実績と感覚、さらに技術では世界の大国だとは思うが、世界の不幸を幸福に変えるためにどう動けばいいのかというスタンスは見えてこない。

 和音(コード)が記入されたコード譜やメロディー譜を用いるジャズはリズム優先の自由な音楽だ。かといって旋律優先のクラシックを邪険にすることはなく、過去の名曲を「ジャズ化」してしまう柔軟性を持っている。それに比べて一部の宗教と政治は頑なに他者を寄せ付けようとしない。キーボード、ウッドベース、ドラムの3つ楽器だけでリズムとメロディーを刻んでいたトリオの演奏を聴きながら、武器に頼る者の愚かさへの怒りがこみあげてきた。もっと「愛と包容力」があれば…。きょうもまた宇宙の中の限りなく小さな星の上では、奇跡に等しい大事な命が無残にもむしり取られている。

2023年9月8日

 アキレス腱炎がなかなか治らない。歩いただけで赤く腫れ、消炎剤を塗って寝る日が続いている。鍼治療と超音波治療は残念ながら効果はなかった。筋膜ケアで治す…という整体クリニックに行くと1回で5000~8000円ほどかかるので、諸物価高騰で前月比の支出増加が続く現時点での家計からすると腰を引いてしまう。それでもゆっくり走ったりしているのでテーピング用のテープと冷却スプレーが毎回、必要なのだが、これも結構費用がかかる。太腿の内転筋にも違和感があるし、手術歴ありの膝はそろそろ限界に近づいているようだ。山に登り、フルマラソンを年1回走るという目的を果たせばいいので、さほど体に負荷をかけているとは思わないのだが、60歳を超えた当方の肉体は「復元力」が激減。激安ショップで買った1つ150円の足首用サポーター2つだけが、最近手に入れた数少ない「味方」のような気がしている。

 インターネットで検索すると、アキレス腱炎になると踵の部分とのつなぎ目にあるトゲ状の骨の出っ張り(踵骨棘)も痛くなるケースが多いとされていたが、まさに私はその通り。とにかくこれまで生きていて、歩くことがこれほどしんどいのは初体験である。

 残された唯一の対処方法は運動も山登りもせず、長期間、負荷をかけないで休むことなのだが、長年にわたってスポーツが生活の一部だっただけに、それを実践するのはカナヅチに泳げ、リズム感がないのに踊れ、音痴なのにうまく歌えと言っているようなものだ。

 温浴効果を期待して下町の銭湯にちょくちょく通っているが、夕刻に足を運ぶと高齢の常連さんがズラリ。そこはサウナがないので若者があまりやって来ない銭湯なのだが、カランの前に20人近いお爺さんたちが座る(うずくまる?)姿は、ある意味壮観で、自分自身も仲間外れでないことを意識させられる。

 アキレス腱炎で悩む中高年のランナーや登山愛好家はかなりいると思う。なので若手の起業家諸君、今がチャンスだ。これをすぐに治せるメソッドと商品を開発すれば、グルコサミンのサプリ以上の市場を開拓できるのだ。都内の銭湯は1回500円。コスパ的にこれを下回ってくれるなら、このおじさんはすぐに飛びつくことをお約束します。

2023年7月26日
 
 猛暑とともに毎日にように届けられる国内のニュースがある。それが山での遭難を含めたアクシデント。
  滑落、高山病による体調不良、道迷いが「SOS」を発信した主な理由だが、その多くは中高年の登山者だ。助けが必要になった状況はいろいろと違うのだろうが、混乱を引き起こした背景にあるのは準備&知識不足と過信ではないだろうか?
 私も山を登る中高年の1人。単独で3000メートル級の北アルプスをうろうろするので、準備だけは「走り込み」を含めてしっかりやっているつもりだが、これだけたくさんの遭難情報が入ってくると、「大丈夫かいな?」と不安になってしまう。
 標高が3500メートルを超えている富士山の頂上付近の小屋に泊まって気分が悪くなって助けを求めた60代の男性がいたが、それは年齢を考えれば、どんなに体力に自信があっても無謀だ。私が富士山に登ったとき、ちょうど自衛隊の訓練登山の面々と一緒だったが、なんとそのグループの40代半ばの隊長さんは9合目付近で「高山病になりかけているので下山します」という無線連絡を自分で入れていた。 薄い酸素への適応能力は平地での体力とあまり関係がないように思う。私も実は苦手で、だからこそ富士山では8合目あたりで6時間ほど「高地順応」のために小屋でじっとしていた。ましてや頂上に泊まろうなどとは夢にも思わない。今夏、その富士山に5歳の息子を連れていった親がいたというニュースがあったが、脳の成長期でもある子供を低酸素下にさらすことへのリスク想定をしていたのだろうか?と首をかしげてしまった。  一般登山者にとって最難関の山のひとつ、剣岳では下山時に雨となった。すると前方の急峻な岩場付近に人が集まっていた。のぞいて見ると50代とおぼしき男性が倒れ込んでいて、腰から下があらぬ方向へねじ曲がっていた。聞けば足をすべらせて15メートルほど滑落したとのこと。Ý県からやってきたそのパーティーはパニックに陥っていてどうしていいのかわからなかったようだ。まだ携帯電話が普及していなかったころで、私は下山途中だったこともあって、そこから40分ほどの小屋に駆け込んで事故の一報を伝えた。しかしそれは本来、パーティーのリーダーがやるべきことだと思うが、残念ながら彼らにその余裕はなかった。  人間社会にあるしがらみから解放される山の頂にいると格別な気分になる。だから人は山を登る。しかし準備と知識があってこその山登り。そこをもう一度しっかりと考えて、新たなピークを目指そうと思う。「自分は絶対にニュースには出ないぞ」。山に登る方は、まず、その意識を頭に植え付けてから準備を始めてみよう。

2023年6月2日

 バナナを4本売りから3本売りにして、なおかつ値上げしていた近所のスーパーマーケットがこれまで展開していた部分的値引きサービスを一斉に廃止することになった。60歳以上は月曜日と火曜日に5%引きだったが6月いっぱいで終了。毎週2回発行されていた10%の値引き券もなくなり、子育て支援世帯の値引きサービスもピリオド。代わって200円ごとに1ポイント(1円)が付与されるというシステムになるようだが、1万円の買い物をしても実質的に値引きされるのは50円ぽっきり。60歳以上が10%の割引券を持って月曜日か火曜日に買い物をするとこれまで計15%の値引きとなっていたのに、来月からはその30分の1の0.5%しか「恩恵」に授からないのである。店内の告知には愕然としてしまったが、それだけスーパーマーケットも崖っ縁に立っているのだな、と痛感してしまった。  

 異次元の金融緩和とはいったい何だったのだろう?インバウンドの増加というかすかな活況はあるものの、エネルギーも食料も海外に依存しているこの国が現時点で経済的に機能しているとはどうしても思えない。収入は伸び悩み、年金は減り、その一方で物価や税金、社会保険料が上がっていく歪な社会構造。少子化対策も含め、近未来につながるきちんとした戦術や戦略を提示して、それを実行できるしっかりとした行動力を持った人物が現れてくれることを切に願うが、もしかしたらそれは当面、先送りされるのかもしれない。 男子サッカーのW杯では日本代表が世界を驚かせ、大リーグやNBAでは日本人選手が活躍している。ゴルフのマスターズ、女子テニスのメジャー大会でも日本人選手が優勝。スポーツ界には世界で通用する選手がいるというのに、なぜ政治や経済では世界トップクラスの人材が出てこないのだろう。 くだんのスーパーでは開店直後に大幅値引きのパンや和菓子類が入ったワゴンが置かれている。しかし大幅値引きといっても数年前の定価と変わらない値段。私の目の前ではそれを手に取ったあと、その値引き額に落胆したのか?商品を元の位置に戻している妙齢の女性がいた。ぜひ政財界の日本のリーダーにこの情景を見てほしい。セール品の価格が意味を持たない現状は、もはやあるべき姿ではないと思うのだが…。

2023年4月2日
 
 4月2日。東京の下町でバスに乗った。そして町行く自転車に乗っている人でヘルメットをしている人を探してみる。乗車時間25分。つけていたのは1人だけで、それはママチャリの後部座席にいた幼い男の子だった。
 4月1日から自転車に乗るときのヘルメット着用が「努力義務」となったのだが、なんとも難解な日本語だ。ヘルメットを着用しなくても罰則はないし、心の中で努力していると思っていればそれでいいのだろうか?2020年の着用率は11%だったというデータがあるが、バスから私が見た光景の中にその数値は感じ取れなかった。 いちおう私はアウトドアグッズ系の店舗や、ネット通販で自転車用のヘルメットを探しているので「努力」はしている。義務化したぞ、と言われなくても高齢の部類に入って、なおかつ変速機のないシングルギアの大き目のクロスバイクに乗っているので事故に対する警戒感は持っているつもりだ。安全を確保できるしっかりとした作りのヘルメットは安くても7000円以上。
 さてここで費用対効果が気になってくる。安全は最優先、しかし転んだり、ぶつけられたり、ぶつけたりで危ない状況と直面する確率はどれほどなのか?そこがよくわからない。 私は自転車で通勤していたのでチャリ歴は数十年。事故は一度だけ経験している。それは夜間、坂道からの下りで道路脇に駐車していたハイヤーの横を加速したまま通過しようとしたとき、突然そのハイヤーの運転席のドアが開き、そのドアの内側に激突した事故だった。自転車は立ったままの状態でピタッとドアにくっついた状態でストップ。しかし慣性の法則に従って、私はサドルから放り投げられるようにドアの上を通過して宙を舞い、地面に落下してしまった。ハイヤーの運転手はあわてて救急車を呼んだが、私はほぼ無傷。小学校のころは体操が得意で側転からの連続後方宙返りもなんなくこなしていたので、無意識にきちんと前方宙返りを完成させようとしていたようだ。わずかに背中から着地したが、荷物を入れていたリュックがクッション代わりになって衝撃を吸収。
 ヘルメット未着用ながら、私はこの危険な状況を乗り切ってしまったという「過去の実績」があるのだ。 さて、どうしよう。7000円はお買い得?努力はしているが義務と言われるとどうも先に進めない。いっそのこと義務ではなく「法律で着用しなくてはいけません」と言われたほうがよっぽどすっきりするのだが…。
2023年1月11日
 
 荒川の河川敷を走っている。冬場は上流方向から吹いてくる北風が冷たいが、信号にさえぎられることなく走れるのでここが「マイ・コース」となっている。平坦かと思われるかもしれないが、架線橋や水門付近ではそこそこのアップダウンがある。60代半ばになったとは言え、まだフルマラソンを走ろうとしているので、いいトレーニングだと思って上っては下っている。野球やサッカーのグラウンドも多いのだが、花壇などもあって視覚的にも変化がある。ただしその「美」のすぐそばには、不法投棄された家電製品やペットボトル、空き缶などのゴミもちらほら。次に走ったときには片づけられていたりもするので、管理する側の努力をそこに感じている。
 私自身が使うランニング用のアイテムも少し変わった。昔は冬でも素手のまま走っていたが、今では防寒用の手袋は必需品だし、腰に巻くベルトタイプの荷物収容ポーチは、背負うタイプの超軽量リュックとなった。なぜなら脚を痛めて走れなくなったときを想定しているから。この場合、自宅までかなりの距離を脚をひきずって帰る可能性があるので、最低でも寒さをしのぐウインドブレーカーが必要。それはポーチには入らない。さらに緊急連絡用のスマホ、歩けなくなったときに使うかもしれないタクシー代のお金、補給用の食料と予備のペットボトル、汗をふくタオルなどを持って走るので、やはりリュックでないと「安全」が確保されない。実は自宅の住所をペンで書きこんだ名刺も1枚入れている。それは意識を失って行倒れとなった最悪のケースを考えているから。河川敷を走るにも、それなりの準備と覚悟?がいる年齢になってしまった。
 私が履いている某メーカーの厚底シューズは、河川敷をだいたい5,6回走ると、もうソール部分が摩耗してくる。バブリーな頃であれば、レース用に新たにもう一足を買っていたりもしたが、賃金が伸びずに物価だけが上がっていく現在はそうもいかない。先日、練習用に使っていた古いシューズを自分で修理。100均で「キズ防止・フェルトクッション」というシートを買って、それを剥げているソール部分の形に合わせてハサミで切り取り、接着剤を使って張った。他のランナーにはあまり見せたくない部分だが仕方がない。 かくして私の「冬のランニング」はもがき苦しんで試行錯誤を繰り返しながら進行中。もっともフルマラソン挑戦者における共通の敵「30キロの壁」は依然として私の前にも立ちはだかっている。それをなんとか打破しようとした前回の練習走行。リュックに入れておいたウインドブレーカーとタクシー代が、東京・足立区付近の河川敷で役に立ったことをご報告しておく。
2022年11月9日
 
 東京・下町にあるそのスーパーでは毎週1回「日曜朝市」というのがあって、卵10個の1パックが99円。お一人様、1パックのみだが、妙齢の常連さんは一度レジで精算を済ませると再び店内に入ってさらに1パックを買っていた。
 しかし11月になって値段は変わらなかったものの、この1パック99円の卵を購入できるのは1000円以上の買い物をした人のみになった。
 卵のみの1000円以上はカウントされないシステム。最少99円で済んでいた買い物が1000円以上になるので、これは事実上、10倍の値上げと解釈してもいいのだろうか?  
 別のスーパーではバナナの値段が据え置かれていた。税抜きの98円。値段が変わっていなかったので買おうとしたら手が止まった。よ~く見ると、それまで4房で売られていたバナナが3房になっていた。「値段変わらず中身が減量」という商品はポテトチップを含めて多々あったものの、まさかそれがバナナに押し寄せてくるとは思わなかった。
 4本が3本になったので事実上25%の値上げ?
 だったら4房のまま値段を上げてもらったほうがすっきりするのだが、この少し悪意さえ感じる商品操作?に購買意欲は萎えてしまった。
 賃金上昇がないままの物価高騰。どこの家庭も何かをあきらめ、何かを減らし、何かを削っている日々なのではないかと思う。 我が家ではパン食をやめた。業界の方には申し訳ないが、つまりこれはチーズやバターといった値上げが続く乳製品も使わなくすむので家計は少し上向く。
もともと稲作文化が根付いた国で育った人間。米食で生活することに何の問題はない…と言いつつも、近場のベーカリーから焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくると心が揺さぶられる。さてこういう場合、どうすればいいのだろうか?政府の方針に盛り込まれているのなら、どなたか教えてほしい。
 
 
 

2022年9月20日

 喉が痛くなり咳が出て熱が出た。

 まずいと思い、ネットで見つけた病院の発熱外来に予約を入れてPCR検査を受けたら陽性だった。不運の中にかすかな幸運があったとしたら、その病院の住所は我が家と番地だけが違う「ご近所」で、そうなるとわざわざ遠く離れたホテルで隔離するもの違和感があったのか、主治医も保健所も自宅療養以外の選択肢を与えることはしなかった。

 しかしその翌日、熱は39度を突破。「これは緊急通報案件かな?」と思いつつも、これまたどこに運ばれていくのかわからないので、腹をくくって解熱剤でしのぐことにした。褒められた選択ではなかったかもしれないが、妻と「自宅内別居」をしながら静養し、陽性判明から4日目に平熱に戻り、三途の川を渡らずにすんだ。肺に基礎疾患があるのでリスクが高かったのだが、なんとか処方された薬だけで乗り切った。

 しかし平熱になって仕事に戻って10日目。また咳が止まらなくなった。今度は持病の咳喘息。1週間、なんとか薬なしで頑張ってみたが、咳込んで夜も眠れない。やむなくまたしても病院に足を運び、ステロイドとアドレナリンβ刺激薬の配合剤(ブデホル)を処方してもらい、3日間で抑え込んだ。

 新型コロナのワクチン接種では1回目を受けた12時間後に50年ぶりにヘルペス(帯状疱疹)を発症。厚生労働省は頑としてそれをワクチン接種の副作用として認めていないが、肋骨と背中に激痛を伴うこの病気の治療に3週間かかってしまった(コロナなら4日だというのに)。皮膚科の主治医に聞いたら、私のようなケースが多いのだと言うし、現に中学の同級生は2回目接種のあとにヘルペスを発症している。納得がいかなかったのは言うまでもない。

 推測だが、コロナウイルスというのはそれ自体の症状をもたらすだけでなく、その人の弱点に次々にスイッチを入れていくのではないかと思う。だから後遺症に苦しむ人も多いと考えているのだが、この疑問にはおそらく「答え」はないのだろう。

 ちなみに陽性反応後、私の右手人差し指と親指にはかすかにしびれが出て、それは今も残っている。ピークアウトしても油断は大敵。コロナのワクチンは打てないが、インフルエンザのワクチンは接種しようと思う。それが私にとってはせめてもの「冬の対策」になるような気がしている。

2022年8月4日

奥多摩の御岳山(みたけさん)に登り、かつて宿坊だった民宿風の旅館に1泊した。

標高900メートル。平地より気温は3度から4度ほど低いので、猛暑の中でもしのぎやすかった。この山の「映えスポット」となる岩石園(ロックガーデン)も2時間半ほどかけて一周。「東京の奥入瀬」と看板に書かれていたが、確かにせせらぎの中を歩くのは気持ちがよかった。2つの滝があって巨岩と巨木に囲まれているトレッキングコース。しかし旅館のスタッフに尋ねると、観光で訪れる人はまだ最盛期にはほど遠いのだという。 これも新型コロナの影響だろう。

東京都民の私にとって、もし他県で症状が出たらその自治体に迷惑をかけることになるので、東京都内で旅を完結させることはとても大切。なので、あとしばらくは奥多摩は自分にとっての「奥座敷」のような感覚であり続けるかもしれない。

旅館のすぐ前からは下界の夜景が見えた。標高900メートルの東京都から見る平地の東京都。北アルプスを登山の「主戦場」にしていた私はこれまで標高が低いゆえにここを敬遠していたが、いざ足を運んでみると高さでは表現できない満足感を味わえた。 目の前の巨木にはムササビの巣箱。旅館のご主人に「夜10時くらいに山の上から戻ってくるかもしれません」と言われしばらく待った。そして現れた。ムササビではなくタヌキが…。

これもまた旅の面白さ。近場も決して悪くないなあと思いながら、翌日、日の出山というもう1つの900メートル級を制覇して「都内の旅」を終えた。

2022年5月30日 

 子供ころ好きだった某メーカーの有名なスティック状のスナック菓子を数十年ぶりに買った。開封して驚く。昔と比べて長さが3分の2,太さは4分の1…くらいになっていた。値段そのままに量を減らすやり方はすでにヨーグルトや納豆、ポテトチップで慣れてはいたものの、長さと太さに関連する「減量方式」は初体験。やはり何かがおかしい。そう思わざるを得なかった。

 近場のスーパーのレタスの特売日。1玉98円のレタスを妙齢の女性が品定めしていた。そして1つをチョイス。そこまではありふれた光景だった。しかし周囲に散らばっていた他のレタスからちぎれたと見られる葉っぱをかき集めだす。98円以上の価値をそこに求めたのか?次に買い物の順番が回ってきた私はマネできなかった。

 有名メーカーながらセール品の牛乳を買った。手頃な価格。しかしまたワナ?が待ち受けていた。牛乳の大きなパックは1リットルだと信じていた私が愚かだった。よく見ると「900ml」と書いてある。激安スーパーで販売されている納豆1パックは39円で価格は安いのだが、納豆そのものの味がまずすぎて食せない。激安&大容量のキムチの食品成分をよくみると増粘多糖剤、人工甘味料、そしてまさかの着色料…。「安いものには訳がある」。そんなセオリーをあらためてかみしめる買い物となった。

 賃金が増えないと購買意欲が減少。そこをカバーするためにメーカーは値段を据え置こうとする。すでにその我慢の限界を超えた?小麦粉や乳製品は値上げに転じているが、次第に「本物の味」と「本来の量」が消えていっているような気がする。買い物をする際にはよく商品を吟味すること。最近、そう覚悟して店の中に入る機会が増えたと感じているのは私だけだろうか…。